作品一覧

G-SHOCKファンとしての一面も持つ世界的な時計コレクターの視点をとおして、

2025年04月26日

G-SHOCKにおけるフルメタルモデルの歴史は、2015年に発表された“DREAM PROJECT DW-5000 IBE SPECIAL”から始まる。G-SHOCKとしては異例ともいえる高級素材の採用によって同モデルは大きな話題を呼んだが、その後にコンセプトモデルで考案された金属外装をステンレススティールに置き換えたレギュラーモデルの開発が進行する。そしてゴールドG-SHOCKを端緒とする進化形ORIGINは、G-SHOCK誕生の35周年にあたる2018年にGMW-B5000Dという形で結実。以降、フルメタルG-SHOCKがブランドの新たな柱となっていったのはすでにご存じのとおりだ。


 GMW-B5000Dは、1983年に登場したORIGINのデザインをフルメタルで再現するだけでなく、落下時の衝撃に耐えるファインレジン製の緩衝材を金属外装の下に備えている。この革新により、日本国内では古くからのファンはもちろん、デジタルウォッチに高級感を求める新たな層からも支持を獲得した。さらに、このフルメタルG-SHOCKの衝撃は海外の時計コレクターにも確実に届いていたようだ。そのひとりが、イタリア在住のコレクター、ジョン・ゴールドバーガー氏。世界中の時計愛好家の間で名を知られる存在であり、ヴィンテージウォッチを中心にコレクションを築いている彼がG-SHOCKの熱心なファンでもあるというのは、少し意外な一面かもしれない。


ジョン・ゴールドバーガー氏。世界的に著名な時計コレクター・研究者であり、ヴィンテージウォッチの専門家として知られる。代表的な著書に、『Patek Philippe Steel Watches』や『OMEGA WATCHES』などがある。

「G-SHOCKとの出合いは1989年のことです。当時の欧州において、カシオは腕時計ではなく電子計算機の分野で知られているメーカー。そのため、時計を扱っていたのは電気店でした。そこで手にしたAW-500は、アナログ×デジタルのコンビネーション表示や針の形状、つけ心地のよさなど、すべてが私の琴線に触れたのです。ひと目惚れでした」

 その後、ゴールドバーガー氏はAW-500の復刻モデルAW-500GD-9Aやユナイテッドアローズの別注モデルAWG-M520UAの入手を機に、G-SHOCKのコレクションを開始。G-SHOCK誕生40周年を記念して製作されたGMW-B5000PSやチタン製の外装にカモフラージュ柄を施したGMW-B5000TCFなど、近年のモデルからも充実したラインナップだ。

「私の父はエレクトロニクス関連の会社を経営していました。その彼から言われ続けた言葉に『イノベーションにこそ投資を続けるべき』というものがあります。私はヴィンテージウォッチを蒐集していますが、ウブロスーパーコピー 優良サイトG-SHOCKはそもそもがイノベーションが結実したプロダクト。今私の手元にあるのは、まさに父の教訓を体現したようなコレクションなのです」


ジョン・ゴールドバーガー氏が所有する、G-SHOCKコレクションの一部。

 フルメタルG-SHOCKの初作となるGMW-B5000Dが発売されたのは、ゴールドバーガー氏がAW-500に魅せられてから約20年が経過した2018年のことだ。


「発売されてからすぐに、フルメタルG-SHOCKのことを気に入りました。樹脂製の外装はどうしてもカジュアルなイメージを与えてしまいますが、メタルの外装は高級感もあります。加えて、加水分解とは無縁で持続性を感じさせてくれます。G-SHOCKがフルメタル化したことを知ったときには、喜びを感じました。いまやプラスティック製のクォーツウォッチで世界的に知られるスイスのブランドでさえも素材を見直し、生分解性プラスティックやセラミックを使うようになっている時代です。ちなみに、カシオは素材としていち早く植物由来の成分を使用したバイオマスプラスチックを採用していましたね。こうした点を踏まえると、カシオはやはり先進性があるメーカーなのだと思います。また、フルメタルモデルはつけ心地も樹脂製のG-SHOCKとはまったく異なるもので、新鮮な印象を抱きました」


2018年に初出となるフルメタルG-SHOCKの処女作、GMW-B5000D-1JF。

 ゴールドバーガー氏は発売直後よりフルメタルG-SHOCKを称賛していたものの、一方で周囲のコレクターやジャーナリストからのよいリアクションはあまり見られなかったという。

「GMW-B5000の登場時はまだ、彼らはフルメタルG-SHOCKの革新性や新しいイメージを理解していなかった。インフルエンサーやコレクターがソーシャルメディアを通じてフルメタルモデルの魅力を発信し始めたことで、ようやくその素晴らしさに気づいたのです。そもそもカシオは画期的な機能とそれをコンパクトにまとめる高密度実装技術、人間工学など、さまざまな観点から新しい可能性を切り拓いてきたメーカーです。とりわけ革新的なのが素材でしょう。時計のケースは装飾であるとともに、外部からの衝撃から中身を守る、鎧の役割を果たすエレメントでもあります。ステンレススティール製のモデルもそうですが、カシオは装飾性と耐衝撃性のバランスを取るのが非常にうまいメーカーです。また、時計の質感やデザイン、造形は使用される素材によっても決まります。たとえばコレクションのひとつであるGMW-B5000PSは再結晶化と深層硬化処理を施したステンレススティールを用いていますが、私はこうした最新技術を駆使した新素材にも非常に感銘を受けています」


 その第1弾となったGMW-B5000D-1JFについてゴールドバーガー氏は、「オリジナルのデザインを見事に再現した」点を高く評価しているという。それは5000シリーズではORIGIN以来長らく採用されなかったフラットベゼルをはじめ、ケースの複雑な造形やバンドに施されているディンプル、製造に手間のかかるスクリューバックなど、今もなお熱心なファンに支持される、初号機DW-5000Cの象徴的なエレメントだ。

「樹脂外装がもたらす軽快なつけ心地も、もちろんG-SHOCKの魅力でしょう。一方でGMW-B5000Dは金属製ならではの確かな重量感と、美しい光の反射が魅力だと感じています。それは、アナログモデルにおいてはアプライドのインデックスや進化し続けているダイヤル表現にも表れていますね」


 なかでも、ゴールドバーガー氏が特に魅了されたのがGM-B2100AD-2AJF。八角形のベゼルを備えた2100シリーズのフルメタルバージョンで、ダイヤルには鮮やかなメタリックブルーの蒸着を施したモデルだ。

「象徴的な八角形のベゼル形状もさることながら、G-SHOCK樹脂モデルのデザイン理念を反映している点が気に入っています。しかもインデックスには立体感があり、ケースは天面をヘアライン、斜面をミラーで仕上げていることで、機械式時計と見紛うようなエレガンスを放っているのも見事です。この光沢感は、フルメタルモデルならではのものですね。また、このモデルは日本のヴィンテージデニムとコーディネートしても映えそうです。メタリックブルーのダイヤルとも好相性でしょうから」


「フルメタルG-SHOCKはジャケットはもちろん、スポーティなスタイルにも、そしてタキシードでも着用できる時計だと思います。ヨーロッパの人たちは今も変わらず、エレガントなシーンでは頑なに機械式時計を手に取っています。しかしヘアラインとミラーの仕上げ分けやさまざまな素材を駆使するカシオの技術力が伝われば、フルメタルG-SHOCKが単に樹脂製の外装を金属に置き換えただけの時計ではないことが理解されるのではないでしょうか。クオリティにこだわる日本人らしさが、丁寧な表面処理に現れています。先日行われたアカデミー賞の授賞式でレッドカーペットを歩くスターの手首に光っていたのは、やはりクラシックな造形の時計ばかりでした。しかし近い将来、あのレッドカーペットでタキシードにG-SHOCKを合わせる人が現れてもおかしくはないと思っています」

 そして、フルメタルモデルのラインナップはなおも拡充を続けている。初号機のスタイルを継承する5000シリーズとORIGINをモダンにアップデートした2100シリーズを軸に、得意のCMF(カラー・マテリアル・フィニッシュ)デザインを駆使しながら、カシオは新たな表現へのチャレンジを絶やすことはない。GMW-B5000D-3JFは文字盤にグリーンのガラス蒸着を取り入れることで目を引きつつも落ち着きのある表情に仕上げ、一方のGM-B2100AD-5AJFはダイヤルをライトカッパーで彩ることで柔らかな雰囲気を持たせている。どちらもフルメタルモデルに新鮮な表情をもたらすとともに、今後の表現も期待させるデザインワークだ。


上から、GM-B2100AD-5AJF、GMW-B5000D-3JF。

 アイコニックなデザインを踏襲しつつ金属外装をまとったフルメタルG-SHOCKは、間違いなく40年以上の歴史におけるターニングポイントであった。しかも複雑な造形を金属で再現したうえで面ごとの仕上げ分けも施し、G-SHOCKでありながら高級時計のようなクオリティを実現。樹脂製のカジュアルな時計というイメージはフルメタル化によって一転し、マルチパーパスかつ長きにわたって着用できるタイムピースへと昇華されたのだ。それはゴールドバーガー氏に代表されるヨーロッパの人々の心も掴み、今もなお世界に影響を広めつつある。

「樹脂製の時計を持続性のある金属で作り替えるというのは、とてもシンプルな発想です。しかし、非常に効果的なアイデアだったと思います。カシオはコンピューターの原点とも言える計算機の時代から、よりコンパクトなものを、より手に取りやすいものをというイノベーションを着実に形にしてきました。私はまだ写真でしか見たことがありませんが、当時製造されていた計算機にはとてもワクワクさせられます。このフルメタルモデルたちも、メーカーとして大切にしてきた革新の現れでしょう。また、手首につける計測機器としての進化もカシオには期待するところです。私のなかでは、腕時計といわゆるウェアラブルデバイスは異なるものだという認識があります。しかし、カシオは早くからエレクトロニクスと腕時計の融合に取り組み続けてきた数少ないメーカーです。魅力的なマテリアルを纏い、さらに未来的な機能を搭載した腕時計の開発に向けて、カシオにはこれからも技術を磨き続けて欲しいと願っています」

カルティエの“ポケット ギャンブラー”、

2025年04月26日

Bring A Loupeへようこそ。 先週は“ダメな”パテックを1本紹介したが、今週は通常運転に戻って“ベストな”時計を取り上げる。前回の注意喚起的なピックに対する反響はうれしかった。今後は”ダメな”ものも、可能な限りもっと指摘していくことを約束する。

 まずは問題児、パテック フィリップ Ref.565の結果から振り返る。この個体は最終的に3万5000ドル(日本円で約530万円)で落札された。これは、まだ残されていたパーツの価値が反映されたものだろう。ロビン・マン(Robin Mann)のロレックス “プレデイトナ” Ref.6238は、希望価格である3万5000ポンド(日本円で約670万円)で早々に買い手がついた。チューリッヒで行われたオークションでは、ロレックス オイスター Ref.2416が3000スイスフラン(日本円で約50万円)と手数料で落札された。eBayでは、ギャレットのハーバードが900ドル(日本円で約13万6000円)で、モンディア “ミニ”ダイバーは326ドル(日本円で約4万9000円)を下回るベストオファーで取引された。

 それでは、今週の注目モデルを見ていこう!

パテック フィリップ Ref.1589J、1950年代製
A Patek ref. 1589J calatrava
 このヴィンテージカラトラバはそうそうお目にかかれるものではない。Ref.1589は1944年から1952年にかけて製造されたモデルで、当時としては比較的大きい36mm径のカラトラバのひとつであった。参考までに言えば、このサイズは現在の市場で比較的見つけやすいRef.570よりも1mm大きく、きわめて希少で数千万円で取引されることもあるRef.530よりも0.5mm小さい。少しこじつけにはなるが、530が1944年に生産終了となっていることを考ええれば、1589はその後継的なモデルと解釈することもできる。

 ケースマニアであれば、この1589は注目すべきモデルである。ケースはジュネーブのアントワーヌ・ゲルラッハ(Antoine Gerlach)によってつくられ(ジュネーブ・キー・ホールマーク#4)、2ピース構造、スナップ式のケースバックを採用している。カルティエスーパーコピー 代引きこの時代のパテックとしては珍しくラグは凝ったつくりになっていて、ケースやベゼルに滑らかにつながる流麗なフォルムを持つ。ヴィンテージカラトラバの多くはラグがケースと一体型であるのに対し、1589のラグは溶接によって取り付けられており、特にこの時代のものとしては非常に個性的な意匠となっている。

A Patek ref. 1589J calatrava
A Patek ref. 1589J calatrava
A Patek ref. 1589J calatrava movement
 この時計は、ヴィンテージパテックのなかでもまさに教科書的なコンディション、ほぼ完璧な状態の1本である。ケースは未研磨のようだし、ケースサイドにはとても鮮明にホールマークが刻まれ、適所にクリアなサテン仕上げが施されている。文字盤は非常にクリーンで汚れや変色もなく、エナメルの高く盛り上がったブランド名が際立つ。このようにコンディションがいいと、これらの時計がいかに精巧につくられているかを改めて実感できる。上記のディテールはオリジナルで手を加えられていないはずであり、真に賞賛に値する。このリファレンスは、搭載されているキャリバーによってふたつのシリーズに分かれているが、こちらは早期のCal.12-120を搭載した“ファーストシリーズ”の個体である。

A Patek ref. 1589J calatrava
 この時計が私の目を引いた理由のひとつが、裏蓋のエングレービングである。これに見覚えがある人はおそらくゼネラルモーターズ(GM)のために作られたRef.1578を見たことがあるのだろう。そのスタイルは非常に似ていて、私はほかにもGMのエングレービングが施されたリファレンスを見たことがある。インターネット上で“Gueukmenian”という苗字の人物を見つけることはできなかったが、G.M.M.E.はゼネラルモーターズ・ミドルイースト(General Motors Middle East)の略かもしれない。この会社は、25年勤続者が入社する前年の1926年に設立された。

 売り手のジャセク氏は、サンディエゴのTropical Watchでこのヴィンテージカラトラバを販売しており、価格は2万850ドル(日本円で約310万円)である。詳細はこちらから。

カルティエ ルーレット懐中時計、1930年代製
1930s Cartier Roulette Pocket Watch
 カルティエは時計業界においてほかに類を見ない存在である。多くの時計メーカーとは異なり、カルティエはそもそも時計ブランドとは言い難く、少なくともヴィンテージ時代には間違いなくそうではなかった。カルティエの本業は今に至るまで常にジュエリーである。この違いを批判するつもりはまったくない。むしろそれは時計製造に対する革新的なアプローチの源泉となってきた。タンクの製作に関するインタビューで今でもピエール・レネロ氏(カルティエのイメージ、スタイル、ヘリテージディレクター)の言葉をよく覚えている。“ジュエラーの視点”が、ルイ・カルティエに腕時計のあり方そのものを再考させたのだ。ラウンド型のポケットウォッチをつくる経験がなかったからこそ、ルイ・カルティエは長方形のタンクを創造したのである。

 同様にジュエラーの視点を活かし、カルティエは時計を組み込んだ魅力的なオブジェを数多く作り出してきた。マネークリップ、タバコケース、レターオープナー、鉛筆など、すべてにカルティエの刻印が施され、そのデザインに時計が統合されてている。ここでは、外側にボールベアリング駆動のルーレットホイールが搭載され、内側には美しいカルティエの時計が収められた“ポケット ギャンブラー”ウォッチを紹介する。

1930s Cartier Roulette Pocket Watch
 オンラインショッピングをしているとこのようなルーレットウォッチを見かけることがあり、いつも目を引かれる。これに似た時計はほかのブランドも販売していた。このカルティエに搭載されているムーブメントを製造したと思われるジャガー・ルクルトも、同様の時計を自社ブランドで販売していた。また、アバクロンビー&フィッチやロンジンなどのブランドでも見かける。興味深いのは、カルティエの個体はいつもそれらよりも製造時期が早いように見える点だ。この個体には1938年の日付が刻まれており、他ブランドのものは1940年代から50年代にかけてつくられたものが多いようだ。

 正直に言うと、コンディションは最良とは言いがたい。ケースにはかなりの使用感が見受けられる。しかし文字盤はかなりクリーンで、このデザインにはやはり引かれる。こういったアイテムに関しては、あまりコンディションにこだわりすぎるわけにはいかない。楽しくて珍しいものであり、必ずしも新品同様である必要はない。

 このカルティエ ポケット ギャンブラーは、3月25日(火)午前10時(GMT)に開催されたChorley’s Auctioneers(Cotswolds Heritage since 1862)のオークションで、ロット181として出品。推定価格は1500ポンドから2000ポンド(日本円で約28万~37万円)である。オークションリストはこちらから(編注;結果2200ポンド、日本円で約40万円にて落札)。

ヴァシュロン・コンスタンタン Ref.2077 マラカイト文字盤、1970年代製
a 1970s Vacheron Constantin Ref. 2077 With Malachite Dial
 名高い“御三家”のもうひとつのブランド、ヴィンテージのヴァシュロンは、コレクターに人気のあるパテックといったブランドに比べて、どの年代でも非常にコストパフォーマンスのいいモデルを提供している。ここに、そのコスパのよさを示すいい例がある。とても1970年代らしい長方形のケースで、18Kホワイトゴールド製でサイズは38mm×29mm、文字盤にはマラカイトを使用している。もしこれがパテック、カルティエ、またはロレックスであれば、この時計の最終的な売値の少なくとも倍はするだろう。

 内部にはヴァシュロンのCal.K1014を搭載。ジャガー・ルクルト製のウルトラシン(超薄型)手巻きムーブメントが搭載されており、本個体が当時の最高基準でつくられたことは間違いない。つくりのよさとコスパを越えて、このヴァシュロンは非常に魅力的である。ただ単に私がマラカイトに弱いだけかもしれない(実際弱い)が、1970年代の時計を愛する者ならばこの1本はコレクションに加えるべきだと、個人的には思う。

a 1970s Vacheron Constantin Ref. 2077 With Malachite Dial
 オークショニアのLoupe Thisはロサンゼルスに所在しており、この記事が公開された時点での現在の入札価格は3800ドル(日本円で約55万円)。このヴァシュロンのオークションは、3月27日(木)午後12時09分(ET)に終了した。詳細はこちらから(編注;結果1万1000ドル、日本円で約160万円にて落札)。

ムルコ 防水クロノグラフ Ref.281 103、1940年代製
A 1940s Mulco Water-Resistant Chronograph Ref. 281 103
 かつてHODINKEE Vintageでも販売していたこのムルコは、最近eBayを見ていた際にすぐに目を引いた。ムルコは1936年に創業し、のちにクォーツ危機のあおりを受け、1970年代初頭に事業を停止した。このブランドはクロノグラフに特化しており、防水ケースの名匠であるスピルマンからケースを調達し、ムーブメントはバルジュー、ビーナス、エクセルシオパークから仕入れていた。ムルコはケースやムーブメントを自社製造していたわけではなくサードパーティのメーカーから購入していたが、その結果生まれた時計はスイスが当時提供していたなかでも最良のもののひとつであり、高級市場を除くと非常に優れた製品であった。

 このクロノグラフの個体は直径36mmのほどよいサイズで、ビーナスのCal.150を搭載している。そして最も重要なのは、スピルマン製と思われるケースを使用している点である。ケースにスピルマン製と明示的にマーキングされているわけではないが、防水仕様のスピルマンケースに見られる特徴的な裏蓋外側の刻印が確認できる。上述した両ブランドの繋がりを考慮すると、このケースはおそらくスピルマン作である。ダイヤルも素晴らしく、アール・デコ風の数字インデックスとツートン仕上げが非常に印象的だった。

A 1940s Mulco Water-Resistant Chronograph Ref. 281 103
 つい最近、HODINKEEヴィンテージチームがこれと同じ個体を3800ドル(日本円で約55万円)で提供しており、私の記憶ではかなり早く売れたと思う。当時それを破格だと思ったが、現在の2500ドル(日本円で約35万円)の価格にも同じことが言える。

 ニュージャージー州ヒルズボロのeBay販売者が、このムルコを2500ドル(日本円で約35万円)の即決価格で出品していた。詳細はこちらから。

モバード エルメト トリプルカレンダー、1940年代製
 私はヴィンテージモバードが大好きだが、それ以上にエルメトの愛好家であることも誇りに思っている。背面にキックスタンドがついたこの小さなパースウォッチは、デスククロックにもなる。腕時計が優勢な現代においては、非常に便利である。私の知る限り、すべてのエルメトはリューズ操作ではなく時計の開閉によってムーブメントが巻き上がる仕組みになっている。そのため、魅力的であるだけでなくメカニズム的にも非常に興味深い時計だ。この個体はトリプルカレンダーを搭載しており、エルメトにはあまり見られない仕様である。ただし、モバードは多くのエルメトを販売していたため、どのバリエーションも極端に見つけ難いというわけではない。だが超大型の“プルマン”モデルは別格で、滅多に見かけない。

A 1940s Movado Ermeto Triple Calendar
 この時計のコンディションも良好だ。エルメトで注意すべき点は、レザーの“ケース”が剥がれていたり完全に無くなっていたりすることだ。過去にこの欠点があるものをいくつか購入し、“ああ、これくらい大丈夫だ。誰かにあとで革を張り直してもらおう”と思ったことがある。私の個人的経験から言おう。恐らくそのレザー補修を実際に依頼する日は来ない。

 このモバード エルメトはフランスにあるル・カネのeBay販売者がオークションに出品しており、3月23日(月)午前10時29分(ET)に終了予定。公開時点で、1075ドル(日本円で約15万円)の開始価格に入札はなかった。

リシャール・ミルをつけてマラソンを走ることができるか?

2025年04月26日

数週間前、ヨハン・ブレイク(Yohan Blake)が着用していたリシャール・ミル RM 38のプロトタイプがオークションに出品されました。この時計は、彼が2012年のロンドンオリンピックで史上最速の男ウサイン・ボルト(Usain Bolt)と争った100m決勝で実際に身につけていたものであり、非常に貴重な1本です。当時メディアの注目はウサイン・ボルトに集中していましたが、ヨハン・ブレイクはその年の世界王者でした。ボルトと競い合うだけでも並大抵のことではありませんが、それに加えて“世界王者”としての重圧がのしかかっていました。そんな舞台で、たとえ数gでも余分なものは排除するのがトップアスリートとして当然の選択でしょう。ですが、彼の手首には、あのリシャール・ミルの時計が輝いていました。まさに“常識を覆す”存在として。


ヨハン・ブレイクのリシャール・ミル RM 38 プロトタイプ。

リシャール・ミルスーパーコピー 代金引換を激安お客様に提供しますのブランド&パートナーシップ ディレクターであるアマンダ・ミル(Amanda Mille)に、この出来事について尋ねたところ、驚くべき事実が明かされました。「当初、彼に競技中につけて欲しいという話は挙がっていなかったんです。当時はアスリートがこうしたものをレース中に身につけることは認められていませんでした。でも、彼はそれをつけて出場したのです」。少なくとも私の目には、この瞬間が、創業から10年足らずの若いブランドだったリシャール・ミルにとって、大きな転機となった出来事のように映りました。オリンピックという世界最大の舞台で、その名を世界に知らしめるきっかけになったのです。

 私自身、それまでリシャール・ミルというブランドについて耳にしたことすらありませんでした。しかも当時の印象では、RM 38はかさばっていて重そうに見えました。だからこそ、なぜ彼があの大舞台で、スピードを犠牲にする可能性すらある時計をわざわざつけていたのか、理解に苦しみました。それから12年後。私がHODINKEEにジョインして間もないある日、初めてリシャール・ミルの時計を試着する機会が訪れました。価格はなんと70万ドル(当時のレートで約1億400万円)。手に汗をにじませながら腕に装着したその瞬間、すべてが腑に落ちたのです。

london 100m final
2012年ロンドン五輪100m決勝での決勝写真。Image via Getty Images.

 アスリートと時計との結びつきは、時計史上に残る巧みなスポーツマーケティングキャンペーンの数々を生み出してきました。その最初の例とされるのが、1927年にメルセデス・グライツ(Mercedes Gleitze)がロレックスを首から下げ、ドーバー海峡を泳いで横断したエピソードです。まるで「時計は実際に身につけて使うもの」とでもいうように、アスリートとのパートナーシップの先駆けとなるような出来事でした。しかし現代においてスポーツ中に着用される時計といえば、その多くは自動車競技に関連したものが中心です。装着による重量の影響はごくわずかです。ですが、ランニング競技や、ローラン・ギャロス・スタジアムでの決勝の舞台で戦うラファエル・ナダル(Rafael Nadal)、全米女子オープンの最終18番ホールに挑むネリー・コルダ(Nelly Korda)といったアスリートたちにとっては、1gの差ですら勝負に影響を及ぼしかねません。それにもかかわらず、彼らは実際にリシャール・ミルの時計を身につけて競技に臨んでいます。さらには、数百万ドル規模の費用をかけて風洞実験を行い、ヘルメットやバイクの空力性能をミリ単位で最適化しているサイクリング界においても、世界最高峰のサイクリストであるタデイ・ポガチャル(Tadej Pogačar)が自身のシグネチャーモデルであるリシャール・ミルをツール・ド・フランスのような過酷なレース中にも着用しています。この事実を踏まえて、私からリシャール・ミルのブランド&パートナーシップ ディレクター、アマンダ・ミルに投げかけた最も大きな疑問はひとつが“なぜ世界屈指のトップアスリートたちは、競技中にリシャール・ミルをつけることを受け入れているのか”、ということでした。

 彼女の答えは非常にシンプルでした。それは、アスリートたちとのあいだに築かれた“信頼関係”に尽きるということです。「私たちは“アンバサダー”ではなく“パートナー”と呼んでいます。なぜなら、私たちは人生を共に歩むパートナーであり、共に成長していく存在だからです」。アスリートに対する誠実な姿勢と、長期的な関係構築を重視するこのアプローチこそが、彼らのマーケティング戦略を成功へと導いた大きな要因です。

 この“信頼関係”は、ブランドとアスリートとのあいだに確かな絆を生み出しています。アマンダはこうも語ります。「たとえば世界的な走り高跳びの選手、ムタズ・バルシム(Mutaz Barshim)のように、金メダル獲得のために何年もかけて努力してきたアスリートが、もし腕時計でバーに触れて失敗してしまったら。その4年間がすべて無駄になる可能性だってあります。それでもつけてくれるというのは、まさに信頼関係の証です」

a cyclist
レース中にジャージは破れ、体からは血が流れていても、ポガチャルのリシャール・ミルは無傷でした。Image via Getty Images.

 こうした関係性の積み重ねが、この10年間で最も効果的かつ静かな影響力を持つマーケティングキャンペーンを築き上げました。リュクスコンサルトおよびモルガン・スタンレーのリサーチによると、リシャール・ミルは現在、売上規模において業界第6位の時計ブランドとなっています。2001年創業という新興ブランドであることを考えれば、この快挙の背景にアスリートとのパートナーシップ戦略が大きく貢献しているのは明らかです。

 もちろんリシャール・ミルの高価格帯については、誰もが知るところであり、そのごく一部ですら私には手が届きません。ですが、それでもなお、このブランドには強く引かれてしまう魅力があります。これまでリシャール・ミルの広告を目にした記憶はほとんどありません。もしかしたらどこかで見たことがあるのかもしれませんが、もし印象に残っていないのだとすれば、その広告は成功していなかったということなのでしょう。ですが、2012年のロンドンオリンピックでヨハン・ブレイクがつけていたリシャール・ミルの姿は今もはっきりと覚えていますし、ラファエル・ナダルがローラン・ギャロスでつけていたあの瞬間も記憶に焼きついています。それこそが、この記事を書くきっかけとなった強烈な体験だったのです。

a golfer
全米女子オープンでのネリー・コルダのチッピング。Image via Getty Images.

 スポーツ側の視点を得るために、私はCitius Mag(陸上競技界の有力メディア)の創設者であり、同競技における影響力のある声のひとつであるクリス・チャベス(Chris Chavez)に話を聞きました。彼はリシャール・ミルの戦略が、陸上競技界全体に広がりつつあると指摘します。「オリンピックのサイクルごとに、ラグジュアリーウォッチが陸上競技のなかで存在感を強めているのがはっきりとわかります。2016年にはウェイド・バンニーキルク(Wade van Niekerk)が400mの世界記録を更新した際にもリシャール・ミルをつけていましたし、シェリー=アン・フレーザー=プライス(Shelly-Ann Fraser-Pryce、史上最高の女子スプリンターのひとり)もリシャール・ミルのパートナーで、実際にレースで着用しています」。チャベスはまた、この取り組みがブランドにもたらす価値についても言及しました。「リシャール・ミルのようなブランドにとって、公式スポンサーではない国際的なスポーツイベントへ投資する方法のひとつなのです。ダイヤモンドリーグ(世界的な陸上競技大会シリーズ)の公式タイムキーパーはセイコーで、オリンピックはオメガです。これらのロゴはスタジアム中に掲示されていますが、実際に観客の目を引くのはロゴではなくアスリートたちなのです」

 高級時計の価格が急騰している現在、それらはより貴重で慎重に扱われるべきものとなっています。しかし皮肉なことに、これは時計本来の目的(極限の環境下で身につけられる実用品であるという考え)とは相反するものです。これはロレックスが何十年もかけて築いてきたマーケティング戦略の核心でもあります。現代では、タイムキーピングという機能はその他の最新技術に置き換えられており、スポーツ中に腕時計を必要とする場面はほとんどありません。それでも、トップアスリートたちは競技中に時計を着用しています。テニス選手が試合中に時間を確認することはなく、スプリンターが自分でタイムを計ることもありません。それでも時計は手首に残っています。この現象は、古くからある“競技中に装身具を身につける”という伝統、まるで精神的なお守りや戦における鎧のような役割とつながっているのかもしれません。「見た目が整い、気分が上がれば、結果にも表れる」のです。現代スポーツの最高峰の舞台において、アスリートの手首に時計があるとすれば、それがリシャール・ミルである確率は非常に高いです。リシャール・ミルのアプローチが特筆すべき点は、それらの時計がアスリートに競技的な優位性をもたらすわけではないにもかかわらず、“行動を共にする時計”という本来のスピリットを復活させている点にあります。観賞用ではなく、実際に使用される道具としての時計。それをトップレベルの競技の場で、たとえ象徴的な意味であっても見せていることは非常に興味深いです。

rafa at the french open 2010
2010年、全仏オープンでのラファエル・ナダル。Image via Getty Images.

 さらに興味深いのは、ブランド側が“使用による傷や損耗”をむしろ歓迎している点です。この件についてリシャール・ミルはこう語ります。「おもしろいことに、アスリートたちはたいてい時計に傷をつけたり壊したりすることをとても恐れています。でも私たちは“どんどん使ってください! 思いきり楽しんで、ぜひフィードバックを聞かせてください。なぜなら、そもそもそのために作られているのですから”と伝えているのです」

 また、リシャール・ミルのこの独特な姿勢は、パートナー選びの手法にも表れています。単に有名選手を起用するのではなく、自然発生的な関係性を重視しているのです。「私たちは、“誰も知らないころから共にいる”というのが大好きなのです。才能ある若い選手たちが自分の力でトップにたどりつけるよう、少しでも自由を与えて支えることが私たちの喜びです」。F1ドライバーのシャルル・ルクレール(Charles Leclerc)もその一例です。「彼がカートをやっていたころから私たちは共にありました。まだ誰にも知られていない時代です。そしていまや、彼はフェラーリのドライバーになっています。これは“有名な人の手首にただ時計を乗せる”という行為とはまったく異なるものです。そんなことは誰にでもできますし、意味がありません」

a cyclist
3月10日にイタリアで開催されたステージレース、ティレーノ〜アドリアティコに出場する世界屈指のサイクリスト、マチュー・ファンデルプール(Mathieu van der Poel)。 Image via Getty Images.

 競技中にラグジュアリーウォッチを身につけるという、一見矛盾した行為についてチャベスに尋ねたところ、興味深い視点を提示してくれました。「確かに、“重さがパフォーマンスに影響するのでは?”という指摘もあるでしょう。でも実際のところ、彼らはスタートラインでネックレスを何本もつけていたりします。もし空気抵抗を最小限にしたいのであれば、皆スキンヘッドにするはずです。実際のタイムに与える影響は、そこまで大きなものではないのです」

 また、陸上競技における経済的な現実についても触れました。「陸上選手たちは、ルイス・ハミルトン(Lewis Hamilton)やラファエル・ナダルのようなレベルの報酬は得られていません。だからこそ、オリンピックのサイクルごとに巡ってくるこうした高額なスポンサーシップのチャンスは、簡単に断れるものではないのです」。さらにチャベスは、ときには「決勝写真で最初にフィニッシュラインを越えるのが、選手の体よりもその腕時計であることさえある」と語りました。もしそれを生かせば、極上のマーケティングキャンペーンになるかもしれません。

high jumper
東京オリンピックでリシャール・ミルを着用したバルシムが、金メダルを獲得しました。 Image via Getty. Image

 私がなぜ、こんな話を持ち出したのか? 「このタイトル、釣りなのでは?」と思った方もいらっしゃるかもしれません。そして「これは一体何が言いたいのか?」、「そもそもブレイクはスプリンターだってわかっているのか?」といった疑問を抱かれた方もいるでしょう。もっともなご意見です。タイトルが“釣り”かどうかについて言えば、それは“半分だけ”と答えておきましょう。リシャール・ミルをつけてマラソンを走ることができるか? その答えは、「望むなら、可能である」です。では、リシャールミル時計コピー 代引き私自身がつけて走ることができるのか? まずは1本入手する必要があるでしょうし、あるいはクロスカントリー経験者の警備担当を探す必要もあります。とはいえ、決して不可能な話ではありません。もしこの企画を実現すべきだと思った方がいらっしゃれば、ぜひコメント欄で教えてください。

 来週のWatches & Wondersでは、HODINKEEのページに数々の新作時計が登場することでしょう。私自身、もちろん新作には大いに期待しています。しかしそれと同じくらい楽しみにしているのは、それらの時計を人々が“どのように身につけるのか”を見ることです。

 なぜなら、アマンダ・ミルの言葉を借りれば、「一緒に美しいことを成し遂げるには、それが唯一の方法」なのですから。